英語めぐり: Krystian Zimerman(ツィマーマン/ツィメルマン)
ツィメルマンは取り上げる作曲家のピアノの音色を感受する
明日、ツィメルマンがリッチモンド大学でモーツァルト、ショパン、ラヴェルを弾く際には、彼は3つの異なる楽器で演奏するべきであろう。
作曲家たちは、異なった楽器を使っていたのだから。
ツィメルマンも先週、彼らはそれぞれ自分のピアノの音を念頭において作曲をしていたと述べていた。
しかし、1840年代のショパンは1780年代のモーツァルトの楽器については辛うじてそれと分かったくらいであろう。20世紀はじめに活躍したラヴェルは、昔の作曲家たちの楽器は絶望的なまでに旧式であると思っていただけではなく、彼は自分が1937年に死んだ後に起こるピアノの技術的な発展については理解しなかったただろう。
「スタインウェイだけでも、この100年で1900もの変更を加えています」。その多くは第二次世界大戦後であるとツィメルマンは言う。「ピアノは、他のどんな楽器よりも変化しています」。
理想的な3台のピアノの代わりに、彼はこのリサイタルのプログラムのために、その響き、鍵盤、他のアクション部分をカスタマイズした1台のピアノで演奏することになる。「私はこれらの曲を30年間弾いてきましたが、ツアーの前に8日間、私はこの楽器で自分の演奏を実際に試してみるのです」。彼がニューヨークに保管している、スタインウェイである。
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「私はその間、そのピアノにいかにして、これら全ての楽曲をそれぞれ適切に演奏をするのに十分な柔軟性を持たせるかを見つけ出すために過ごすのです」。ポーランド生まれのピアニストは、スイスの自宅からの電話でそう述べた。
3年前まで、ツィメルマンはアメリカでのコンサートのために、ヨーロッパから楽器を輸送していた。しかし、9.11のテロ以降、整音に用いるいくつかの化学物質や潤滑剤が警報機を作動させることになったのだ。
「それらが爆弾を作る成分にもなりうるということが分かったんです」と彼は言った。通関業者の検査において、「不幸にして、2台のピアノが破損されて初めてそのことが分かった」のだという。
(地元のピアノ調律師は述べる。「こうした経験は特殊なものではありません」。ピアノのメンテナンスに使う化学物質や道具は、警備担当者には極めて怪しい物に思われるため、「この国にピアノを一個人で輸入しようとするケースは極めて稀」なのである。外国の製造業者は、破壊的になりかねない調査を避ける輸入・流通の方法を確立してきたのである。)
ツィメルマンは、ピアノについて大層こだわる。彼はその理由をこう述べる。「ピアノをただ弾くだけでは十分ではありません。音楽の全体像を捉え、歴史を理解して練習し、その他のピアノにまつわる事象や、文献についても理解をしなくてはなりません」。
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例えば、ショパンとラベルの違いは、音楽的な様式の違いに留まらない。ツィメルマンは「ショパンはピアノについて本能的に理解をしていたと思います。彼は、和音の響きに対して、倍音がどのように影響するかを知っていました。だから、彼の和音は厚味のあるものではありません。彼は常に、和音から音を切り離して、彼の音楽にある旋律を与えています」と述べた。
「一方で、ラヴェルを演奏するのは、オーケストラを指揮するようなものです。私はしばしば、彼はどのくらいピアノについて理解をしていたのだろうかと思うのです。彼の音楽の中には、楽器の調整なくしては上手く演奏できないものもあります」
48歳の音楽家は、自分はコンサートを開催するよりも多くの時間を、教育や歴史的な研究、「楽器の改造」に費やしているのだと述べた。彼は年にたった26回しかコンサートの予定を入れておらず-「90年代の50回よりも減った」のだという-、主だった音楽の中心地におけるリサイタルよりも、スイスやフランスの小さな町で開催される急ごしらえのコンサートにおいて彼の学生たちと一緒に行う演奏の方が、まだ耳にする可能性が高いかもしれない。
「私は決して裕福にはならないでしょうね」と彼は認める。「だけど、私は自分がこうと思う方法で音楽を作り上げていくことに満足を覚えるのです」。
我々の歌詞は、エマ·ロバーツによって起こるんです。
真の音楽作りとは、「信じ難いほど複雑なものです。多くの要素が絡んできます。作曲家、演奏家、聴き手の心理、作曲家と演奏家が人生のどのような位置にいるのか、人生において音楽がその時々に果たす様々な役割などです」。
ツィメルマンは、特に、今日の音楽が聴かれる様々な環境に合わせてピアノを調整をするという。「例えば、ショパンの演奏を聴いた人々によれば、彼のピアニッシモは非常に音が小さく、ほとんど聴こえなかったと記されています。これはパリのサロンで彼の演奏を聴いた人々、おそらくは彼から10フィート(4メートル強)くらいのところに座っていた人々の証言によるのですが」。
「今日、500、1000、2000席というコンサートホールのステージ上で演奏するにあたって、ショパンが演奏しようとしていたピアニッシモのようなものを演奏するには、私はどうすれば良いんでしょう?」。
この話は、彼が自分の学生たちに教えようとしているレッスンの一つを補強するものである。「かなり以前に、私はピアノというのはリサイタルにおいて演奏される楽器の半分でしかないと悟ったのです。残りの半分は、自分が演奏しているホールの音響です。それぞれ音の響きが異なります」。そして、同じホールでも観客の入り具合や、天気(全員が外套を着てきたら音は鈍くなる)やその他の環境要因によって、響きは異なってくる。
ツィメルマンは言う。「15年間、私は音響学を理解しようと努めてきました。ただ、私は自分が学んできたことを上手く説明できないのです。それはまるでレモンを食べたことの無い人にレモンの味を説明するようなものです。だけど、空中における音の響き方の感覚や直感は得られます」。
「さらに、音の大きさとは何かという問題があります。私が学生たちに行ったもう一つの実験は、猫の鳴き声のテープと、オーケストラが[ワーグナーの]「ワルキューレ」のクライマックスを演奏しているテープをかけるというものです。例えデシベルを測れば猫の方が大きくても、耳はワーグナーの方を大きいと感じるものなのです」。
そのレッスンとは?「それは音の大きさによって聴いている音ではないのです。聴こうと努めているのです」。
さて、音楽の響きにおいて最も重要な要素は何だろうか?ツィメルマンの考えにによれば、静寂ということになるのだろう。
ツィメルマンは「音楽とは、むしろ音と音との間に生じる余白なのです。それは、音の間に緊張感をもたらします」と、20世紀の偉大なピアニスト・アルトゥール・シュナーベルの考えに共感を示す。「静寂と共鳴を適切に用いれば、音楽にその構造と躍動感を与えられます」。
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