2012年5月15日火曜日

不動産の重箱の角: 音楽


平成2269

  いきつけの書店隅の平台に並んでいたルイ・アームストロング主演の[ニューオリンズ]というDVDを買った。これは、カラー・ネガフィルムの発明されていない1947年(昭和22年)に製作されたモノクロ映画だ。

  物語は1900年代中頃のニューオリンズのバーボン・ストリートの賭博場のバーでの黒人演奏家集団の[ラグタイム(ジャズの母体にもなっている楽曲)]スタイルの生演奏のシーンから始まる。タバコの煙が渦巻く薄暗い空間での黒人ばかりの演奏なので、最初は演奏者の顔がどこにあるのかわからない。眼をこらすと、黒い闇のなかに二つの目玉の白い部分が見分けられるので、そのかいわいが顔だということが判ってくる。各楽器奏者が自分のパートの合間に口を開けて笑ったりすると、サンスター歯磨きのコマーシャルにでてくるような真っ白の歯がのぞくので、やっと顔全体のそれぞれの個性を掴むことができるのだった。

私がこんな云い方をして、黒人を笑いものにしているように思われるかも知れないが、私は彼らに対してなんらの偏見を持っているわけではない。むしろ、世のなかには水彩絵具のように、様々のカラーの人間がいるからこそ均衡が保たれていると思っている。

年間を通して奇数の月に6回開催される大相撲を見ていると、外国出身の力士の数が年年増加している。モンゴル出身力士の他に東欧勢の力士の活躍も目立つが、一昔前にはハワイ出身の力士が20人以上いた時期があった。その中でのトップは、昭和39年に入門し関脇まで昇った[高見山]だろう。高見山にスカウトされ、長いあいだ大関で活躍した[小錦]も素晴らしい力士だった。小錦に憬れて入門して横綱まで上り詰めた[][武藏丸]がいる。その他にポリネシアのトンガ王国からの入門があったが、何れの力士もアフリカの国国の人たちと較べると、その肌の色はまだまだ淡い。

このような国際色豊かなご時世に、アフリカ系黒人力士がなぜ出現しないのか不思議に思っている。今や相撲は、日本の国技なんかじゃない。ヤクや賭博をやりながらファイトマネーを稼ぐ、立派な国際的スポーツなのだから遠慮する事は何もない。黒人には黒いマワシが良く似合う。

  映画[ニューオリンズ]では、コルネットを演奏しているサッチモ(ガマグチのような口という英語から変化した言葉らしい)の左手に握られたトレードマークの白いハンカチが実に印象的だ。充分に顔は黒いが、心はあのハンカチのように清潔だからこそ、46年もの昔から、マウスピースダコのある厚い唇とピンポン玉にマジックで大きめの点を付けたようなサッチモの顔を見るたびに、私の身体に幸せな気持ちが押し寄せてきたのだ。

  ニューオリンズのバーボンスリートは、現在でも多くのバー、レストラン、ストリップ小屋が建ち並び夜更けまでお祭り騒ぎがつづく地区ある。


歌詞と曲は、彼はおそらく私の中で何を見ることができました

1890年(大正元年)代のバーボンストリート沿いにあった[ストーリービル]地区内のホールでは、夜っぴてラグタイムが扇情的に演奏されていた。多少、品位を落とすことになるが、ストーリービル地域とは、女性が男性にある種のサービスを提供し、その代償にお金を戴く場所である。ここには、当時のアメリカ40余州から異常と思われるほどの好き者が寄り集まってきたのである。

  ストーリービル内のホールで酒を飲みながら、ラグタイムの扇情的な演奏を聴かされると、どういうものか男性はすぐに取り掛かりたくなるらしい。そして扇情的雰囲気の下地が充分蓄積されているので、短時間に事が済んでしまう。結果的にそれぞれの女性一人に対するお客様の回転面がすこぶる良好で、決められた単価が割れない限り売り上げは驚異的に伸びる。このような女性たちの協力を当てにしてビジネスを展開するオーナーはいつもニコニコで、ラグタイム演奏のミュージシャンをことのほか優遇する。この街区に仕事が溢れているという噂がたてば、ミュージシャンはドット押し寄せてくる。その中には傑出した技量の持ち主も多数いたようで、ヤクや女性を楽しむ傍ら切磋琢磨したジャズメン自体の音� ��レベルも上がっていった。

  そのようなわけで、ラグタイムを演奏する酒場へは「あんな下品な場所へは、とってもいくきしないわ!  黒人のブルースなんてフケツー!」などといって、一般の人達が近寄らないところであった。

映画[ニューオリンズ]の中で、サッチモの率いる[サッチモとデキシーバンド]がコルネット、クラリネット、ギター、ドラム、トロンボーン、ピアノと、それぞれに腕の立つジャズメンが勢ぞろいして演奏しているのも、このような時代背景のなかでである。

映画の中での演奏中に、サッチモはコルネットを右手に語り出す。

  「皆さんここをみて、サッチモとバンドの演奏を聴いてくれ。聞くこと自体が悪だと云う人もいるが、ブルースはここで生まれた。ブルースを聴くと足がひとりでにリズムをとっている。ドアを開けると金管楽器の音があふれ出てきた。もう他の音楽は聴けないよ。ディキシーの調べにあわせてリズムを刻め、身体をスイングさせ、この演奏を味わえば何も要らない。胸を熱くするブルースの調べのなかのベースの響きに耳をすませ。ブルースの生まれたニューオリンズで」

映画のなかでの、バーボン・ストリートで賭博場を経営しているニックは、黒人ミュージシャンの心の拠りどころだった。ここに紛れ込んできたオペラ歌手と恋に落ちたニックは、ある事件がもとでニューオリンズを追われることになる。シカゴに移ったニックは、後を追ってきたミュージシャンが持つジャズという音楽を世間に認めさせようと一大キャンペーンを繰り広げる

この映画は、1917年前後のアメリカを舞台として、ジャズの発祥から、それが世界中に広まって行く過程を描いた映画で、ルイ・アームストロング主演で1947年に公開されている。アメリカ映画なので、取って付けたようなラブ・ストーリーが当然のことのように入っている。ラブ・ストーリーを取去って演奏分部だけならスッキリするのだが、金を出す人が決めた以上は反対するわけにはいかなかったのであろう。それでも一言いわしてもらうが、なんでもかんでも男と女をくっければ良いというわけではない。

  この映画の見所は、酒の匂いとタバコの煙が漂う薄暗いホールでの、ルイ・アームスロングのコルネット演奏とダミ声ボーカルに絡む、一流ジャズメンの演奏風景である。サッチモの紹介で、それぞれが自分の楽器でソロを入れるくだりは痺れに痺れてオシッコをもらす程であった。これはここだけの話しだが、最近、とみに括約筋の力が緩くなってきた。


ギターの種類は、ジェームス·テイラー使用していますか?

この映画は、当時のジャズ界随一の歌姫[ビリー・ホリデイ]の、ただ一本の出演映画でもある。この男性名前の彼女はヒロインのメイド役で、深夜までジャズ演奏をしている賭博場のバーにヒロインを連れ出す。ここでサッチモとバンドのメンバーをヒロインに紹介し、サッチモに招き上げられたビリー自身もタップリとジャズを歌うのだった。彼女の歌ったのは[ニューオリンズ]という曲であった。メロディーはここで再現できないが、歌詞はこのようなものらしい。

[ニューオリンズ]

[この私がニューオリンズをどう思っているかわかるでしょうか

昼も夜もただ寂しく過ぎて行き、その思いは強くなるばかり

苔や蔦や松ノ木さえも懐かしく、ツグミの声も想い出のなかにある

ミシシッピー河の流れを眺めてみたい

6月の夾竹桃の花を夢に見ると、すぐにでも帰りたくなる

この私がニューオリンズをどう思っているかわかるでしょうか

私はニューオリンズに大切なものを忘れてきた

本当はそれだけではない

どうしても忘れることのできない人がいるの

故郷のニューオリンズよりも]

映画[ニューオリンズ]の画面での演奏に実名で参加しているミュウジシャンは、いずれも1930年~1950年ごろに活躍した一流ジャズメンである。

①サッチモの愛称で広く愛される[ルイ・アームストロング]は、本人役でコルネットとボーカルを余すところなく披露する。実際でも、サッチモが音楽の世界に入った当初はコルネットから始まり、その後に、より高い音域を求めてトランペットを手にした。

[キッド・オーリー(1886年~1973=昭和48年)]は本人の役で、得意のトロンボーンをソロで聞かせた。彼はニューオリンズのテイルゲイト・スタイルのトロンボーン演奏のパイオニアである。といわれるが、何のことをいっているものやら、難しくてワカラン。

[バーニー・ビガード(1906年~1980=昭和55年)]は、ニューオリンズ生まれの白人だが、サッチモとデキシーバンドのメンバーとして、クラリネットソロを聞かせる。1920年代初めキング・オリヴァー等とのレコード録音時はテナー・サックスを担当している。一流のミュージシャンは、複数の楽器を一流の域で演奏するものらしい。

[チャリー・ビル]は、20本の指を持つ男の異名を持ち、ピアノの鍵盤を景気良く叩いていた。

[ステング・ブトン]も本人役でドラムを蹴り、シンバルを撫ぜる。

[レッド・キレンダー]も本人役でベースを弾き、腹に応える低音で部屋を一杯にした。


ジャングルフィーバーwebiste

[バド・スコット]も本人役で、太巻き葉巻を咥えながら指を弾かせてギターを奏でる。

[ウディ・ハーマン]も本人役で、別の場面(ヒーローのシカゴの事務所)で音楽の判らない男にクラリネットを聞かせる。聞いた男は音楽のプロモータで、数日前から目の前にいるウディと契約しようと捜し回っていたのだが、本人だと気づかずにドアの外に飛び出していった。

  バーのフロアで演奏されている[ラグタイム]とは、1890年代なかごろのセントルイスの酒場で黒人ピアノ奏者の間で始められた音楽で、ピアノ演奏に数種類の楽器が加わることによりジャズに発展していったものだ。

スコット・ジョプリン作曲のラグタイムの名曲[ジ・エンターテイナー]は、1973年のポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード主演映画[スティング]のバック音楽に効果的に使われ、1936年代の物語としての映画に味を添えている。映画は大ヒットした。

クラシック音楽やオペラや能楽や歌舞伎等を愛好している富裕層と云われる山手族の眼から見れば、ラグタイムや初期のジャズも、その後の[ビ・バップ(1943年ごろ生まれたジャズのスタイルのひとつ)]も、シナトラやプレスリーやビートルズに至るまで、それぞれの時代での新しい感覚での表現法は否定の対象にされた。それは、土の中から掘り起こされたエジプト象形文字の記録の中にも「最近の若い者は・・」という言葉があり、若者がやることに一応反対の一票を投じる事は、文明発祥当時から延々と続いている体制側の地位保全のための抵抗なのである。つまり、出る釘は打たれるし、宝くじは何度買っても何時もはずれるわけである。

  ルイ・アームストロング(ルイ・ダニエル・アームストロング)は1901年(明治34年)84日にルイジアナ州ニューオリンズの黒人地区で生まれた。幼年期のころに、地元の祭りに浮かれて、母親の護身用のピストルを空に向けて発砲した。45口径の弾丸は、上空を飛翔していた烏の右翼を撃ち抜いた。運の悪いことに近くに警官が観ていて、ルイは少年院に放り込まれた。幸運だったのは、そこにあったブラスバンドのメンバーにコルネットで参加できたことであった。少年院を出る頃にはメキメキ腕をあげて、シャバでのパレードでは一躍人気者になった。

  1923年(大正12年―ルイ22歳)にシカゴに出てキング・オリバァー(コルネット奏者でバンドリーダー)のバンドに入り、初めてのレコーディングをはたした。

  1924年(ルイ23歳)ニューヨークに出て、フレッチャー・ヘンダーソン(ジャズ・ピアニストでバンドリーダー)のバンドに参加しベッシー・スミス(ブルースの女王と呼ばれた)と競演する。

シカゴに戻った彼は、妻のリル・ハーディン・アームストロング(ジャズ・ピアニスト)等と[ホット・ファイヴ]という自分のバンドを造り、[ヒービー・ジェービーズ]という曲を歌い、何をシャベッテいるのか解らないスキャット・ボーカルの分野を開拓した。


  1930年(昭和5 ルイ29歳)には、ヨーロッパ・ツアーを成功させる。

第二次大戦時には積極的な慰問公演で人気を博したが、黒人であるが故えに劇場への出入りも裏口から入り、公演先では白人と同じホテルに泊まることができないという差別に晒され続けた。

  1950年(昭和25年)代での[バラ色の人生]その他の、彼のボーカルとトランペット演奏が一大ヒットした。

  1953年(昭和28年)には、熱狂的なフアンの前での日本公演をはたす。

  1956年(昭和31年)エラ・フィッツジェラルド(当時のサラ・ヴォーン、ビリー・ホリディと並ぶ女性トップ・ジャズ・ボーカリストの一人)と競演する。

  1960年(昭和35年)代のビートルズが台頭してきたポップス全盛のおりに、ジーン・ケリー監督のミュージカル映画[ハロー・ドーリー]の主題歌を、当時の活きのいい人気歌手数人が競作で吹き込んだ。結果、60歳にもなったジー様のルイが歌った盤がミリオン・セラー(レコードが100万枚以上売れたこと)となった。競作に参加した他の歌手は、コメントをひかえ、下を向いて時の過ぎるのを待った。

  ルイ・アームストロングは、ダニー・ケイ主演の[五つの銅貨(レッド・ニコルス物語)]、ジェームス・スチュワート主演の[グレン・ミラー物語]、スティーブ・アレン主演[ベニー・グットマン物語]、ビング・クロスビー、フランク・シナトラ主演[上流社会]、バーブラ・ストライサンド、ウォルター・マッソー主演[ハロー・ドーリー]等の映画に本人役で出演し、ダミ声ボーカルと高い音域のトランペットを聞かしてくれた。私を含め当時の観客は、どの映画でも彼のタラコ唇とテニスボール大のメンタマに充分に感激した。

明朗な性格と高い音楽的技術を併せ持つ独創的演奏者であるサッチモは、まだ洗練されていない一地方のダンス音楽(ラグタイム)を、ポピラーな音楽形態のジャズにまで高めた男である。

後のジャズ界での稀にみる天才トランペッター[ウィントン・マルサルリス(1961=昭和36年生まれのジャズ・ミュージシャンで、クラシック奏者としても広く知られている。過去に16のクラシックと30以上のジャズのレコードを出し、両部門合わせて9つのグラミー賞を獲っている)は、「多くのトランペッターの良いところを盗み自分の物してきたが、アームストロングだけは盗めなかった」と云っている。

ルイ・アームストロングは1971年(昭和46年)76日に亡くなった。ジャズと生きた70年の生涯であった。



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