◆いちじく。イマジン。|ハッシャバイ・ローザ
笑える記事が続きましたんで、本目的の悲しみ吐き出し日記を挟みますね。季節が違いますがご了承ください。
(2010年08月31日発表 著作権あり 一部、加筆)
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いちじくが店頭に並ぶ季節になると、いつもいやーな気分になるのだった。
子供のころの暑い夏の午後、落ちたいちじくをオバサンと拾うのが毎日の日課だった。シャツのすそを長くひっぱって、そこに溜め込むわけ。オバサンと言ってもなんの血縁関係もない人で、お金を払ってあずかってもらっているところのオバサンだ。
オバサンには私と同世代の子供(兄妹)がいた。オバアサン(姑)もいた。そのオバアサンとオバサンがふたりともかなりのいじわるであった。自分ちの子供らにはなんに� ��言い付けないのだが、私だけ小間使いか奉公人のようにこきつかうのでした。
掃除、洗濯、食事の支度、着物の洗い張り(当時はもう珍しかった)、畑のこと、買い物、近所への届け物、エトセトラ エトセトラ・・・
いちじくに戻ります。その熟しすぎて落ちて割れて、蟻が這っているぐずぐずのいちじくが私のおやつです。他の子はプリンなど食べています。蟻をよけながら食べるいちじくは甘いことは甘いのですが、食べ物がないときに浅間神社で食べたツバナの穂とおんなじで口の中がバサバサになってまずいのでした。
うそをつく女性
さて、大人になって、八百屋で見るいちじくは青さが残っていて形もスッとしていました。「まだ青いじゃん!こんなの売ってるのか」と思いました。友人に、「ねぇ、まだ青いよね」と言うと、「うーん、でも食べごろじゃない?美味しそう」と言うではありませんか。買ってみた。食べてみた。
う、うまーい!!
甘みがソフトで食感が全然違うじゃないか!ザラザラのぐずぐずじゃないっ!!ひいい!!
私は「本当のいちじくを初めていただきました感満載」で満足したのでした。いちじくってこんなんでしたか!
同時にいやーな気分になってとても寂しくなったのさ。他人の家で過ごすということがどんなに気を遣うことか、くつろげないか、残酷なこ� �かをまたしても思い知ったのでした。
オバアサンにいたっては、もっといじわるで、私の目の前で自分の孫たちだけを呼び寄せて、お小遣いをあげるのでした。孫のひとり(幼なじみの男の子のかずちゃん)が、「おばあちゃん、ゆうちゃん(仮名)にはあげないの?」と言う。素朴な疑問です。オバアサンは、かずちゃんにこう言いました。「ゆうちゃんはよその子だから、あげなくていいんだよ」と。かずちゃんは私に悪そうに下を向くのでした。(かずちゃん、いいんだよ、私、わかっているよ)
かなり大人になってから、母親にそんな話をすると、「お金も払って、お中元もお歳暮も、お正月も欠かさず届けていたのに、そんな扱いを受けていたのか!」と驚いていました。私は、なんの疑いもなく奉公人よろしく頑張� ��ちゃっていたのでした。
強迫観念と秘密の笑顔
だって怒られるのが怖いし、見捨てられるのが恐ろしかった。身体の大きな女の人で、若いころに大きなお屋敷で奉公した人だから、徹底的にあらゆる家事が出来るわけです。厳しい。こわかった。気持ちの休まる時がなかった。
やっと夜になって自分の家に帰れば、(ご存知の)父が酒を呑んで暴れている。もう生きた心地というか、楽しい気持ちというものがまったくない。そんなことが生まれてすぐ~中学2年くらいまで続きましたから、毎日のように差別のてんこ盛りだった。
オバアサンもオバサンも、もうとうに亡くなったけれど、亡くなった日に私は大きく深呼吸しましたよ。だって、いつもいい子でいないとならなかった。今だって、どっか� �見てるんじゃないかと思うとあせる。その感覚がなかなか抜けない。「いい加減」に楽になりたかった。私の頭の中のオバサンがこう言ってる。もっともっと努力せよ!もっともっと完璧にこなせ!
本格的な治療に入ってから、心の中のオバサンはだんだんと消えていったのだが、それは根強く強固でありました。「育つ環境」というのは、本当に大事です。リラックスして自分らしく楽しく、愛する人に見守られて育つこと。これができれば間違いなく人生は楽しいものになります。安心して帰る場所があると思うと、逆に帰らなくても頑張れるのです。要するに、子どもというのは、安心して育つことのできる「普通」の家庭があれば、容易に飛ぶことができるようになるということです。
"商業的ギャップをフェレルます。
私にはもう帰るふるさとも場所も家族も甘えられる人もないので、自分の身一つでいろいろを耐えていくしかないのです。実家に帰って愚痴を聞いてもらって甘えてくるというのもできないのは残念です。
10代の頃にアルバイトしていた老舗の調剤薬局では、お嫁に行った娘さんが、たびたび婿さんや赤ちゃんを連れて実家に帰ってきました。で、実家のお父さんやお母さんがとても喜ぶ。数日泊まったりして、帰るときに婿さんにお父さんが言います。「娘と孫をよろしく頼むよ」。婿さんと赤ちゃんが先に車に乗り込み、今度は娘さんだけにこう言いました。「つらかったらいつでも帰ってきていいんだからな」。私は自分の目と耳を疑いました。これ はドラマじゃないんだ、本当に親というのはこんなふうに言うんだ、と。そして、そのあとに強い嫌悪に襲われるのでした。悔しい!悔しい!私にはこんなふうに言ってくれる人はいない!と、決まって自暴自棄な気分になるのです。
それが嫌で、次からは見ない聞かないようにする。寂しい、つらい、悲しい、うらやましい、悔しい、そんな感情を、全部押し殺して生きていたのでした。
いちじくを見ると、そんなことを思い出します。
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さて、アルバム『TOGI』が、本日、発売になりましたね。先日、ひと足お先に聴かせていただきましたが、全曲新しいアレンジとなっています。通して聴いて思いましたのは、ストリングスが入った分だけクラシックのような重厚な印象があるのに、重くならない。篳篥(ひちりき)の「力強さ」よりも「ソフトな優しい部分」が前に出ているからではないかと感じました。ボーナストラックの「イマジン」のアレンジは文句なしにいいです。ちょっとジャーズィーなアレンジと篳篥でしかできない音の流し方、音色が楽しめると思います。あの古い歴史ある和楽器が、東儀さんの手にかかると、とても新しい感じの音、曲を生むというのはなんとも不思議です。感動して、またしても落涙。ア メリカでもこの感じは充分に受け入れられると思いました。
すべての差別がなくなる日を夢見て。
IMAGINE 東儀秀樹
(C)ローザ
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