初メキシコ(オアハカ州の太平洋岸を行く):覇王樹さんの旅行ブログ By 旅行のクチコミサイト フォートラベル
初メキシコ(オアハカ州の太平洋岸を行く)
今回の旅の目的は勿論お仕事がメインであるが、もう一つ、私の旧友と会うことも含まれている。彼女の名はロサリオ。私の在仏時代の同僚であるが、今は母国のメキシコに戻り、オアハカ州プエルト・アンヘルというところにある海洋大学(Universidad del Mar)の先生をしている。一体彼女がどんな先生をしているのか?大変楽しみである。
5月10日、夕方5時半の飛行機で成田発。メキシコシティーまでは15時間半のフライトである。途中バンクーバーに給油のため着陸する。
バンクーバーでは一切の手荷物を持ってトランジットルームに移動。移動中に緑の札を渡されるが、これを持っていると再搭乗の際優先的に機内に入れるのである。バンクーバーーメキシコシティー間はメヒカーナ航空とのコードシェア便にもなっていって、バンクーバーからも搭乗する人がいるためである。トランジットルームには自販機もあるが、当然のことながらカナダのコインがなければ飲み物を買うことも出来ない。
バンクーバーを発って暫くすると、眼下にグランドキャニオンが見えてくる。とにかく、メキシコシティー到着まで眼下には乾いた風景しか見えてこない。
メキシコシティーにはほぼ予定通り到着。入管では何の質問もなくパスポートにスタンプされただけであった。このままバゲージクレイムに移動。空港の出口には噂の押しボタン式荷物検査が確かにあった。入国者はボタンを押して、緑ランプが点灯すれば無条件で出場、赤ランプだと荷物検査を受けなければならないというものである。妙なシステムではあるが、幸い私が押したら緑ランプ。無事通過である。今日はこのまま同じ空港内にあるヒルトンホテルに宿泊である。猛烈に高いホテルではあるが、明日の飛行機が午前中なので、背に腹は代えられない。
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メキシコシティー上空へと入る。
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5月11日、朝10時10分発のメヒカーナ243便でウアトゥルコ(Huatulco)へ飛ぶ。空港のチケットカウンターでは、一度私のスペイン語が通用するか否か試してみようと思い、挨拶からスペイン語で始めたが、何のことはない、何とか会話は成立。希望の窓際の席も取ることが出来た。
機内では、隣の席はオランダ人。バカンスでウアトゥルコにいくそうだが、スペイン語も英語も苦手な様子。言葉が話せないのになぜメキシコ?とも思ったが、その隣に座っていた彼の奥さんは実はメキシコ人。彼女は流暢な英語を話す人だったので良かった。
飛行機は予定通りウアトゥルコに到着。これまた小さな空港で、タキシングウェイもなく、着陸した滑走路をUターンして駐機場へと向かう。一歩、機外に出ると、猛烈な暑さを実感した。この空港には一般的な空港ビルなるものは存在しない。全て草葺きの屋根の空港ビルである。建物構造も横は全て吹き抜けになっており、熱気が溜まらないようになっている。バゲージクレイムもベルトコンベアーが1本のみ。建物の外でコンベアーに荷物を放り上げているのが丸見えである。
この日は私の友人は仕事があり、空港まで来られないので、彼女の同僚が私をピックアップしに来る予定になっている。しかしながら、面識もないので落ち合えるかどうか心配にはなったが、あっさりと彼女の同僚に見つけられてしまった。何せ日本人はここに私しかいないのだから、当たり前といえば当たり前。
早速彼女の車に乗り込み、当初の目的地であるプエルト・アンヘル(Puerto Angel)に向かう。車内では、英語、スペイン語織り交ぜての会話となる。本当にスペイン語を勉強しておいて良かった。国道200号線は、国道とは名ばかりのクネクネとした道である。途中、民家らしき物は殆ど無い。集落が見えてくると、減速用のトペと呼ばれる瘤があり、車が大きく揺れる。日本では公道にはこんなものはないよなぁ。
周囲は枯れ木ばかりの真っ茶色な風景が続く。ここでは、緑一色になるのは冬で、それ以外の季節は暑すぎるので木は皆葉を落としてしまうのだそうだ。そんな道を1時間近く走ったところで、漸くプエルト・アンヘルの村に入る。本当に何もない小さな村である。こんなところに大学なぞ本当にあるのであろうか。写真は海洋大学の正門
neyoは誰ですか?
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彼女は今回開催されている学会のオーガナイザーの一人である。あまり彼女と話す時間もなく、彼女はバタバタと仕事をしている。
それにしても、ここは何と暑いことか。セミナー室はとりあえずエアコンが入っているが、一歩外に出ると熱気と湿気がひどい。廻りはかなり乾燥した風景なのだが、なぜか湿度が高いのである。ここは1年を通じて殆ど雨が降らないが、海からの風が入ってくるので、それなりに湿度が高いのだそうだ。仕事が終わったら、セミナー参加者全員でウアトゥルコにバスで移動。私の隣には知人の米国ノースキャロライナ大学の教授が座るが、すぐに睡眠。だいぶ暑さが堪えたようだ。私も気が付いたら居眠りをしていた。
ウアトゥルコでは、バスは中心街を抜け、リゾートエリアに向かう(タンゴルンダ:Tangolunda)。学会のレセプション会場となっているリゾートホテルに向かうのである。ホテルは非常に巨大なもので、大プールとビーチを持っている。先生方はこのホテルに泊まるようであるが、私はどうもこの手のリゾートホテルは苦手で(一番苦手なのは値段)、彼女にダウンタウンのホテルを紹介して貰う手筈になっている。但し、今の今までどこのホテルに泊まるのか情報は一切無し。一体どんなホテルに連れて行かれるのか。レセプションパーティーが終わると、漸く彼女も手が空いたようで、我々と一緒に遅めの夕食。食後、やっとホテルに連れて行って貰えることになった。彼女についていってホテルの駐車場まで行くと、新車の� �ノーが停まっている。どうやら彼女は新車を買ったようだ。彼女の弁だと、毎日一時間掛けてウアトゥルコからプエルト・アンヘルまで通勤しているとのこと。普通の道ならいざ知らず、山道を一時間というのはご苦労なことである。
さて、リゾートホテルのあるタンゴルンダからウアトゥルコのダウンタウンとなっているクルセシタ(La Crucecita)までは車で10分ほど。一方通行の多い街路を抜けると、3階建てのアパートのような建物の前に車を停めた。ここがホテルだという。私は三ツ星クラスのホテルと言っていたのだが、どう見ても星無しクラス、星があっても一つ星程度のホテルである。まぁ、彼女が紹介してくれたホテルだから大丈夫だろうということでこのホテルに泊まることにした。
一泊二百ペソという高いのか安いのか分からないホテルであるが(Hotel Jaroje)、部屋に入って一番最初にしたことは、床にいた巨大ゴキブリをはたいたことである。気絶したところを廊下にポイ。エアコンはあるのだが、何としても動かない。代わりにオリエンタルファンと称する天井からぶら下がる扇風機を回して寝ることとなった。にしても、猛烈な熱帯夜である。治安がどうのこうのと言っていられず窓は全開。日本の熱帯夜を思いつつ、その日は寝入った。 -
朝、鳥の声を目を覚ます。ホテルの廊下の手摺りで鳥が鳴いているのである。何とも南国的な鳴き声である。
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ホテルから見た朝のウアトゥルコの風景。
ウアトゥルコの日の出は七時半頃である。日本に比べると極端に遅い。どうやらメキシコでは朝が始まるのもだいぶ遅いようである。この時間ではまだ表通りの人通りは少ない。さて、昨日のゴキブリはどうなっているかと廊下を見ると、殆ど跡形もなくなっている。皆蟻ン子に喰われてしまったのである。さすが熱帯地方。生存競争は厳しいようである。日が高くなってくると、ホテル前の大通りにも人通りが出来てくる。パタンパタンとどこからともなく機織りのような音も聞こえてくる。
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彼女は九時半頃にピックアップに来ると昨日言っていたが、二十分ほど遅刻して来た。どうやらフランスからメキシコに戻ってからは現地の時間感覚に戻っているようだ。車には乗ったものの、学会会場である大学には向かわず、市街地をあっちこっち立ち寄って、バナナやら篭やらいろいろ買い物をしてくる。どうやら今日学会で使うものを仕入れているようである。
漸く海洋大学ウアトゥルコ校舎に到着。何もない山の中に大学はあった。学生たちは通学用のバスで通ってくるようである。さて、午前中は招待セッション、午後は口頭発表のセッションであるが、その間に食事は入らない。昼食は驚いたことに三時頃摂るようである。私の方はといえば、その口頭セッションの方で、その会場は大学の講義室だったが、エアコンなどない蒸し風呂のような会場である。どのようにいやそう
さて、私の発表は無事終了。車でタンゴルンダに戻る。3時過ぎになって漸く昼食をホテルのレストランで摂ることとなった。そのレストランはホテルのプールサイドにあり、四方が吹き抜けとなっている。が、その全てがネットで覆われている。これはレストラン内に餌を漁りに来る鳥を避けるためのものである。屋外テーブルを見ていると、器用に鳥たちがお客の食事をかっさらっている。
それにしても、そのレストランから見る眺めも実にリゾートしている。ある人は泳ぎ、ある人はビーチのチェアで読書をし、あるいは昼寝、である。実に羨ましい。 -
この海で泳ぎたかった。
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夕方、ポスターセッションが終わったら、夜9時頃になってクルセシタの隣町のサンタクルス(Santa Cruz)にタクシーで移動。ロサリオはこの晩サンタクルスで行われるスペシャルイベントの準備で一足先に出向いているようだ。
この晩のイベントは、オアハカの民族舞踊のショーであった。鮮やかな民族衣装を着た舞踊団が次々と踊りを披露する。実にこのイベントは12時近くまで続いた。 -
5月14日学会最終日。今日もロサリオは忙しく、技官の先生が彼女の車を借りて、私と二人で町まで行こうということになった。
技官の先生のことを私はいつもジャンと呼んでいる。彼には今は2歳の孫がおり、とにかくその孫のために何かお土産を買わねば、と躍起になっている。彼は英語もスペイン語も駄目だが、お店に入って身振り手振りで会話を成立させている。何とも滑稽な風景である。ウアトゥルコの町並み風景。
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クルセシタの町を散策し、町の中心にある教会堂に入った。外観はこれといって特徴のない南国風の教会であるが、内部に入って思わず感嘆の声が出そうになった。天井全てを使って色鮮やかに聖母マリアが描かれているのである。目が醒めるような真っ青な背景を使っている。色は確かに涼しげだが、さすがに欧州の教会堂のように、外は暑くても内部はひんやり、というわけにはいかない。
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暫くたった頃、ジャンがもうそろそろ大学に戻ろう、と私を起こした。ホテルを出て、車に乗り込むと、一転にわかにかき曇り、雷雨となった。滅多に雨の降らないところだということだろうか、道行く人はみな慌てふためいている。
大学の駐車場についたものの、雨はいっこうにやむ気配がない。幸い、私だけ傘を持っていたので、私がロサリオを迎えに大学のオフィスまでいくことになった。オフィスには彼女はおらず、どうやらまだ校内をいったりきたりして仕事をしているようだ。暫く待っていると、土砂降りの中、傘もささずにずぶ濡れになってロサリオが歩いてきた。彼女の方も、漸く学会の仕事が一段落付いて落ち着いたようだ。夕方にはタンゴルンダで閉会パーティーがあるが、それまで時間があるので、サンタクルスの先にある灯台のある岬に行ってみようということになった。
幸い、岬に着いたときには、雨は止んでいた。天気が良ければ景色は良いところなのだろうが、その一方で、雨が降ったせいで今までの熱気が取り払われ、実に快適な温度になった。岬には灯台があるだけで、それ以外に何があるわけではなく、ただただ太平洋が広がっているのみである。だが、背後にはとても景色の良いサンタクルス湾を眺めることができる。 -
サンタクルス湾の風景。
私はあなたと私はあなたを必要としないすべてを愛する
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パーティーはタンゴルンダにあるゴルフ場のクラブハウスで行われた。食事は相変わらずのタコスである。パーティーのあと、残ったビールで学生たちが一気飲みをしている。結局私も学生たちに付き合わされて、ビールを8,9本も飲み干しただろうか(190mlの小瓶ではあったが)。陽気な学生たちである。ロサリオは学生たちとそれほど年齢が離れていないせいか、相当学生たちに慕われているようである。
その晩、ホテルの自室に戻ると、電気が一切入らない。どうしたことかとフロントに文句を言うと、あ、御免、という感じでフロントデスクの脇にあるブレーカーを入れた。なんちゅうホテルであろうか。とまれ、今晩は涼しいので、クソうるさい韓国製エアコンを運転することなく、窓を全開にして快眠した。昨日、ロサリオは明日はゆっくり寝かしてくれ、起きたら迎えに行く、と言って家に帰った。朝起きると、町の中心となるソカロの隅にあるキャッシュディスペンサーで現金を確保。学会参加費を彼女に立て替えて貰っていたので、とにかくお金を返さねばならない。
ソカロに近いところにメルカド(市場)がある。いろいろな商品が並んでいるが、メキシコらしい色鮮やかなものが多い。メルカドの隣では機織機が現役で動いていた。ホテルまで聞こえていたパタンパタンという音はこの音だったのだ。 -
町内を一周して、部屋で待っていると、ようやくロサリオが来た。もう11時である。そして、いきなりチェックアウトするから、というのである。これから彼女の実家に行こう、というのである。
慌ただしくチェックアウトし、彼女の車に乗ると、先生とジャンも一緒である。地図を拡げて、彼女の実家のあるという町を確認すると、ウアトゥルコから西に250キロ行ったところにあるイクステペク(Ixtepec)だという。これはかなりの長旅となりそうである。ちゃんとメキシコではゴミ収集が行われている。
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車は国道200号線をどんどん進んでいく。海岸が近く、時々青い海も見えるが、道の大半は山の中を縫うようにして走る曲がりくねった道である。とにかく、風景は単調である。時々集落が現れるが、各々の集落にどこといった特徴はない。
途中のタパネラの集落にて。ジャンは暑そうだが、サポテカ人であるロサリオは平気
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な〜んもない、タパネラの集落。
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道程の半分も来たと思われるモロ・マサタン(Morro Mazatan)の集落を通過しようとしたときのこと、反対車線を民族衣装を着た女の子たちの集団が歩いてきた。国道を南下している途中、時々民族衣装を着た人を見掛けることはあったが、その全てがおばあさんであったので、可愛い女の子たちの極彩色の衣装は本当に新鮮であった。大きなキリストの旗を持って歩いているところを見ると、何かのお祭りなのであろう。
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3時間も走っただろうか、大きな町が見えてきた。サリナ・クルス(Salina Cruz)である。町中に入ると、メキシコに来て、初めて交通信号を見た。今まで滞在してきた町や村は、余りに小さすぎて、信号すら存在しなかったということである。
写真はサリナ・クルスの町。
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途中のイクサルテペクの町にて。余りに壁と花のコントラストが綺麗だったので、車を停めて撮影。
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サリナ・クルスからは今度は北上してサントドミンゴ・テウアンテペクを経由し、イクステペクへと向かう。途中、これもメキシコへ来て初めて見る線路が見えたが、軌道の状態はかなり悪そうである。果たして使われているのであろうか。
5時間あまり走って、漸くイクステペクに到着。町に入るときに、鉄道駅を越えていったが、この駅には機関車が停泊していた。この駅は生きているようである。 -
午後4時過ぎ、町の教会にほど近い、住宅地の中にある彼女の実家に到着した。自宅にはロサリオのお母さんの他に、叔父夫婦がいた。叔父夫婦はたまたま彼女の家に来ていたようだ。お母さんは、小柄なロサリオと違って少々大柄。結構立派な体格をしておられる。叔父さんはかなり英語が上手で、今年は日本に出張もあるとのこと。サリナ・クルスの石油会社に勤めているそうである。皆、居間代わりとなっているテラスのハンモックにぶら下がって涼んでいる。なかなか気持ちよさそうである。ここでは勿論日差しは強いが、日陰にいると風も良く抜けて涼しく感じる。家はそこそこ大きいが、かなり古そうである。天井が抜け落ちた部屋もあるが、今度屋根を掛ける工事をするんだとか。今はこの家にお母さん一人だけで住んで� ��るようである。
お母さんは食事も用意していてくれた。テラスの前の庭にテーブルを出し、我々のためにメキシコの伝統料理、モレを振る舞ってくれたのである。モレとは、鶏肉をチョコレートソースで煮込んだものである。なかなかおいしい。主食であるトルティージャは勿論、チョリソも出された(但し、このチョリソは食べたことのない味であった)。
食事が終わりかけた頃、近所で花火を打ち上げる音と主に、賑やかな音楽が聞こえてきた。今日はお祭りの日なんだそうだ。
音楽が近づいてきたので、家の前の通りに出ると、極彩色の民族衣装に身を纏った女性たちを先頭に、やはり民族衣装を着た子供たちを乗せたトラック、ブラスバンドの音楽隊、騎馬隊、そして十数台の牛車が続く。全長100m以上に渡る大行列である。 -
ロサリオの家の前にて。
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この行進の終点に行こうということになって、慌てて家を飛び出し教会前の交差点に先回り。先ほど子供たちを乗せていたトラックが交差点の中央に止まると、大群衆がそのトラックを取り囲んだ。さて、次に何が始まるのかと見ていると、トラックの上から女の子たちがプラスチックの桶やらバケツやら紙パックのジュースやら力任せに投げ始めた。わっと住民たちが飛んでくるものに手を伸ばす。もう大変な大騒ぎである。いくつかはうまくキャッチ出来ずに地面に落ちる。何やら文字が書き込んであるようである。落ちたものにも皆が群がるが、運悪く牛糞の上に落ちたものは誰にも拾われずに皆に蹴飛ばされる運命にある。
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お祭りの騒ぎが終わったところで、一旦ロサリオの家に戻る。さっき、慌てて家を飛び出したので、コーヒーは飲みかけのまま残っていた。冷めたコーヒーを飲み、皆と談笑しているうちに、漸く日も傾いてきた。さっき遅い昼食を食べたばかりだが、今度はもう夕食に出ようということになった。家からほど近い住宅街の中にある食堂に入ると、おきまりのように皆タコスを注文。但し、今回は各人異なるタコスをオーダーした。
ロサリオの実家は、家具も殆どないがらんとした部屋が印象的である。各部屋にはベッドはあるが、ハンモックもぶら下がっていて、暑いときにはそこで寝るらしい。ものは試し、とそのハンモックにぶら下がるが、うまい具合にハンモックにくるまれるようになっていて、寝相が悪くて落ちてしま うということがないようにできている。
夜、寝ていると、本当に突然に腹痛が襲ってきた。近所のどこかで大音量で音楽を鳴らしていてうるさくてなかなか寝付けなかった矢先である。夜中、何度も部屋とトイレの間を往復する羽目となり、ほぼ全く寝られない。正露丸も飲んでみたが、全く効かない。外では丑三つ時だというのに爆竹も鳴っている。明日は大変な一日になりそうである。 -
イクステペクの中心街。比較的大きな町だが、観光資源は一切なし。
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駅では、露天が線路上に開かれていた。
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